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国産初のベビーパウダー“シッカロール”
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1906年(明治39年)発売、日本初のベビーパウダー”シッカロール”
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江戸時代には、各家庭で米粉、牡蠣粉、葛粉、天瓜粉(天花粉)、ひき茶など自家調製された粉があせもの治療に使われていました。しかし、粉によっては、うじやしらみがついたり、かえってかぶれを生じたりすることがあることが『小児必用養育草(香月牛山)』には記載されています。また、粒子は粗すぎないほうがよいなどの記載もあり、どの粉をどのようにして使うかなどの知識が必要とされていたことがうかがえます。この当時は、まだ、市販品は普及しておらず、あせもの予防として風呂あがりに使われることは少なかったようです。
このようにあせもの治療に使われていた天瓜粉(天花粉)などの種々の粉を、あせもの予防という日常的な使い方にして普及させたのが、和光堂薬局を開設した弘田長博士です。弘田長博士は、東京帝国大学薬学科の丹波敬三教授と共にドイツ医学の知識を持って、あせもやただれにより有効な処方を作りあげました。医薬と薬学の博士二人が生み出した名作、シッカロールの誕生です。1906年(明治39年)のことでした。
当時のシッカロールの成分は、亜鉛華40%、タルク40%、澱粉20%の割合でした。『女用訓蒙図彙』(1687年)に記されているあせものくすりとして「はまぐり(無機物)」と「うどん」の組み合わせが記されていますが、シッカロールの成分においても、「タルク(無機物)」と「でんぷん」が組み合わされたというのも必然性が感じられ、興味深いものがあります。その品質や効果の優秀性は顧客から折紙をつけられていましたが、明治39年の発売当初は、和光堂薬局の片隅にあった4畳半の小部屋で原料を乳鉢で混合しながら細々と作られていました。
シッカロールの記載は、1912年(明治45年)の『小児養育の心得』に初めて登場しますが、徐々に、お風呂上りにはシッカロールという習慣が普及し、湯上りの赤ちゃんの肌に塗られ、子どもに孫にと引き継がれていくことになります。
シッカロールの名称ですが、ラテン語で「乾かす」を表わす「シッカチオ」から名付けられました。明治末期につけられた名前としてはたいへんモダンなものでしたが、その名称は、『広辞苑』や『新言海』に掲載され、天瓜粉(天花粉)やベビーパウダーよりもシッカロールといったほうが通用するほど、一般的な言葉となっています。
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