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和光堂の歴史

国産初の小児用粉ミルク“キノミール”

手探りで牛乳の粉末化に成功

大賀化学研究所兼工場
大賀化学研究所兼工場
 「品質がよく、しかも誰もが購入できるような粉末の牛乳をつくろう」。そう考えた大賀は、学者達に相談を持ちかけました。ところが誰もが、「牛乳を粉末化することは不可能だ」とクビを横に振るばかりでした。

 なんとかして乳幼児死亡率を低下させたい、と願っていた大賀は、牛乳の粉末化をあきらめることができません。そこで、自宅前に建てた研究所兼工場で、独学で研究に取り組むことにしました。

 そしてある日、偶然ヒントを発見しました。実験器具についた数滴の牛乳が、固まり乾燥していたのです。大賀は「やりかた次第で牛乳も粉末化できるに違いない。家庭では牛乳に糖分を加えて飲ませるのだから、糖分を加えてから粉末にすれば、より便利なものになるだろう。それに牛乳だけを乾燥させるより、他のものを調合して乾燥させるほうが簡単にできるかもしれない」と考えました。

 手本になる製品や、参考文献がないにもかかわらず、大賀は来る日も来る日も実験に取り組みました。夜眠りについてからも、実験の夢を見て飛び起き、そのまま朝まで実験を続けることもしばしばだったと言います。社員たちも大賀の熱意にほだされ、全社一丸となって試行錯誤を繰り返しました。

 そしてついに国産第1号の育児用ミルクが完成したのです。牛乳についてまったくの素人が、ただ赤ちゃんの命を救うことだけを願って開発に取り組んだ製品は、当時としては学術的にも「これ以上のものはできない」と言われたほどのものでした。"キノミール"と名付けられ、大正6年(1917年)3月に発売されると、その便利さがうけて大変な反響を呼びました。外国製や国産他社の粉ミルクが市場に出回るようになったのは、それから2〜3年後、第一次大戦が終わってからのことでした。

 ちなみに"キノミール"という名前は、ドイツ語の"キンド(子ども)"と英語の"ミール(食べ物)"からつけたと言われています。
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