和光堂 ミルクの歴史和光堂 ミルクの歴史

100年ミルクの品質

「赤ちゃんを栄養不足から救いたい」

日本で初めて小児科を設置した弘田博士のそんな思いから生まれた和光堂は、日本で初めて粉ミルクをつくってから、2017年に100周年を迎えました。日本で初めて小児科を設置した弘田博士のそんな思いから生まれた和光堂は、日本で初めて粉ミルクをつくってから、2017年に100周年を迎えました。

赤ちゃんの健康と幸せを願い、粉ミルクの開発がはじまりました。赤ちゃんの健康と幸せを願い、粉ミルクの開発がはじまりました。

弘田博士

日本における小児医学の創始者、弘田博士は乳幼児の死亡率が高いことに心を痛め、明治39年に和光堂の前身にあたる和光堂薬局を設立。小さな命を救うためその生涯を捧げます。

初代社長 大賀

その志を受け継いだのが和光堂の初代社長大賀です。
大賀は、乳幼児の死亡率を低下させるために、赤ちゃんの栄養不足を解消したいと考えていました。当時の日本には、まだ粉ミルクという製品は存在していませんでしたから、母乳にかわるものとしてはもっぱら糖類を加えた牛乳が利用されていました。ところが、その牛乳の品質がよくないのです。これを知った大賀は、牛乳についてさまざまな調査を開始しました。


一般の家庭には冷蔵庫などない時代ですから、牛乳を冷蔵保存することができず、特に夏場などはすぐにいたんでしまうということが分かりました。販売業者も牛乳に関する専門知識が乏しく、品質を落としがちであることも明らかになりました。そして何より大賀を驚かせたのは、いたんだ牛乳を飲んだことが原因で、赤ちゃんが命を落とすケースが多々あるということでした。

この事実に心をいためた大賀は、どうにかして牛乳の品質を一定に保つことができないものか、と考えはじめました。

そして、「牛乳を粉末にすることができれば、保存方法も簡単になるだろう。溶かせば純良な牛乳に戻り、しかも一般家庭でいつでも購入できるようなものにすれば、多くの赤ちゃんの命を救うことができるに違いない」という結論に達したのでした。

「品質がよく、しかも誰もが購入できるような粉末の牛乳をつくろう」そう考えた大賀は、学者達に相談を持ちかけました。ところが誰もが、「牛乳を粉末化することは不可能だ」とクビを横に振るばかりでした。なんとかして乳幼児死亡率を低下させたい、と願っていた大賀は、牛乳の粉末化をあきらめることができません。そこで、自宅前に建てた研究所兼工場で、独学で研究に取り組むことにしました。

そしてある日、偶然ヒントを発見しました。実験器具についた数滴の牛乳が、固まり乾燥していたのです。大賀は「やりかた次第で牛乳も粉末化できるに違いない。家庭では牛乳に糖分を加えて飲ませるのだから、糖分を加えてから粉末にすれば、より便利なものになるだろう。それに牛乳だけを乾燥させるより、他のものを調合して乾燥させるほうが簡単にできるかもしれない」と考えました。


手本になる製品や、参考文献がないにもかかわらず、大賀は来る日も来る日も実験に取り組みました。夜眠りについてからも、実験の夢を見て飛び起き、そのまま朝まで実験を続けることもしばしばだったと言います。社員たちも大賀の熱意にひかれ、全社一丸となって試行錯誤を繰り返しました。

そしてついに国産第1号の育児用ミルクが完成したのです。

研究所兼工場

※和光堂とは旧和光堂(株)のことを示します。

日本初の粉ミルク

キノミール

日本で初めての粉ミルクが誕生!
栄養不足や牛乳を飲んだ赤ちゃんが命を落としてしまう現状を憂い、安価で高品質な粉ミルクを作りたいと開発に着手。研究を続けていたある日、偶然ヒントを発見し、日本で初めて粉ミルクの開発に成功しました!
「キノミール」はドイツ語のキンド(=子ども)、英語のミール(=食べ物)に由来します。

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