和光堂の初代社長として、赤ちゃんの健康と幸せを願い、さまざまな事業を興した大賀も、もとから事業家だったわけではありませ ん。今でいうところの国家公務員であり、経営にも化学にも薬品にもまったくの素人でした。
その大賀が和光堂の社長になったのは、大正3年(1914年)のことです。和光堂の創設者であった弘田長博士は一流の学者でしたが、会社経営に身を入れる暇や才能はありませんでした。和光堂の存続が難しいことを知った大賀は、「なんとか育児のための貴重な商品を維持して、赤ちゃんの命を救いたい」という一心で、再建に尽力する決心をしたのです。
大賀は、乳幼児の死亡率を低下させるために、赤ちゃんの栄養不足を解消したいと考えていました。当時の日本には、まだ粉ミルクという製品は存在していませんでしたから、母乳にかわるものとしてはもっぱら糖類を加えた牛乳が利用されていました。ところが、その牛乳の品質がよくないのです。これを知った大賀は、牛乳についてさまざまな調査を開始しました。
一般家庭の家庭には冷蔵庫などない時代ですから、牛乳を冷蔵保存することができず、特に夏場などはすぐにいたんでしまうということが分かりました。販売業者も牛乳に関する専門知識が乏しく、品質を落としがちであることも明らかになりました。そして何より大賀を驚かせたのは、いたんだ牛乳を飲んだことが原因で、赤ちゃんが命を落とすケースが多々あるということでした。
この事実に心をいためた大賀は、どうにかして牛乳の品質を一定に保つことができないものか、と考えはじめました。
そして、「牛乳を粉末にすることができれば、保存方法も簡単になるだろう。溶かせば純良な牛乳に戻り、しかも一般家庭でいつでも購入できるようなものにすれば、多くの赤ちゃんの命を救うことができるに違いない」という結論に達したのでした。


