常に子どもの健康と幸せを重視していた大賀社長は、昭和8年(1933年)、東京に淀橋産育院を開設しました。昭和11年には、大賀社長が多額の寄付を行い、淀橋産育院の規模の拡大に取り組みました。産院はもちろん、小児科病棟を拡張するなど、院内の設備を整えるとともに、東京帝国大学医学部と連携し、医療スタッフの充実も図りました。名前も育嬰協会病院と改め、産院のほかに乳児院を設置し、乳児の保育事業にも力を注いだのです。
また、所得が少なく医療費の支払いが難しい患者には、最低限の実費だけで診療を行い、場合によっては無料で治療を行ったともいいます。開設の翌年には、日中戦争が勃発し、病院器材の欠乏や物価の高騰などの困難もありました。が、そのつど、大賀社長の個人出資や和光堂からの寄付によって乗り越えることができたのです。
さまざまなメセナに取り組んだ大賀社長ですが、施設を作るだけでは、一部地域の人々しか恩恵を得られないことに気づいていました。日本国内全体の乳幼児の幸せを望んでいた大賀社長は、印刷物での育児知識の啓蒙と普及を重視し、出版事業にも取り組みました。



